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『虹と雪のバラード』の札幌五輪から半世紀【西ヶ原】

2021.8.12 / OWNER'S BLOG
東京オリンピックが終わりました。
個人的には開催出来て良かったと思います。
開会式、閉会式の演出が批判されていますが、毎回オリンピックのお決まりです。
正直批判したい奴はさせておけ!

1972年の札幌冬季五輪からは半世紀が経ちました。

『虹と雪のバラード』

1972年の札幌冬季オリンピックにテーマ曲です。
効いていると胸の高鳴るものがあるんです。
ず〜っと何故かわからなかった。
最近その理由が解った。

1972年の頃まではGDPも含め、すべての面で日本はまだまだ欧米諸国に遅れていた。
特に宇宙開発の競争渦中にある米ソは別格だった。
当時の大人たちにとって街中を走るアメ車とテレビで見る『名犬ラッシー』がいるアメリカンホームが憧れだった。
そしてフランク・シナトラ、ビートルズの洋楽が格好良かった。
銀座三越のMcDonaldでハンバーガーを頬張るのは若者にとってファッションのトレンドに浸れた。

『ある愛の歌』や『サウンド・オブ・ミュージック』に『イージーライダー』 。
スクリーンを通してみる欧米は豊さの象徴だった。
それに比べてまだまだ日本は貧しかった。
当時の日本の夕食は納豆に焼き魚、江戸むらさき。
数年前までサラダなんてものは誰も知らなかった!
駐在員の家に行くとリビングにソファーとステレオがあった。
シャンデリアを始めて見た。

1970年の大阪の世界万国博覧会の会場で訪れた欧米のパビリオンは夢の世界だった。
きらびやかなパビリオンの下でケンタッキー・フライド・チキンを立ち食いで頬張るミア・ファロ―みたいな外人のお姉さまが眩しかった。

海外旅行は今とは比べものにくらいの高値の花でした。
なんせ1$=¥360です。
パンアメリカン航空のショルダーバックは今でいうエルメスのケリーバック以上のステイタスでした。
それが置いてあると思わず
「兼高かおるがいるのか?」
と思ってしまいました。
海外旅行からの帰国者は大体がリビングルームのサイドボードに印籠のごとくおいてあった。


ただ海外旅行から帰ってきた人たちが異口同音に言うのは日本人に対する海外での差別です。
当時は農協の団体旅行で海外に行く方が多かったのですが、それを揶揄した眼鏡をかけて首からカメラをぶら下げた日本の団体旅行の風刺的イラストをよく見かけました。
卑屈さを口にしていた。

だからテレビのプロレスでジャイアント馬場が外国人プロレスラーを32文ロケット砲で跳ね飛ばすシーンに胸が心躍った。

当時は夏季オリンピックにおいてはレスリングや体操では複数の金メダルを取っていますが、冬季オリンピックのメダル獲得は1956年のコルチナ・ダンペッツオ【イタリア】における猪谷千春選手の回転の銀メダルのみです。
札幌冬季オリンピックのスキージャンプ70m級(現在のノーマルヒル)では笠谷幸生1位、金野昭次2位、青地清二が3位と、日本人が冬季オリンピックでは初めて表彰台を独占したんです。
日本人が欧米人に圧勝したのです。
しかも完膚無き完勝。
快晴の宮の森シャンツェの表彰台一番高い所で肩を組み合い満面の笑みを湛える3選手の姿に、私の中で欧米人に対するコンプレックスが吹き飛ばされナショナリズムが擽られ心の底から感動しました。
スキーをしていたこともあり、この感動が心の奥に今も残っているのかもしれません。
『虹と雪のバラード』はその時を思い起こさせ、感動が込み上げる要因ではないかと!

しかしながら後の1998年長野オリンピックのジャンプ競技において、団体と個人においては船木和喜選手がラージヒルで金メダルを取った際、自身の金メダル以来の感想を問われた笠谷幸雄さんがニュースの記事のなかで
「ノーマルヒル(70m)じゃ駄目なんだよ!ラージヒル(90m)で勝たないと世界に認められないんだよ!」
と述べていました。
そんなんだ!というおもいで読ませて頂いた記憶が残っています。

年配のお客様で明治大学スキー部OBの方がいらっしゃいます。
明治大学のスキー部のことをよく知らなかった私は
「明治大学スキー部って強いんですか?」
と聞いてしまった。
「笠谷幸雄さんはOBだよ!」
「・・・・・・」

1972年、この年はミュンヘンオリンピックも開催されました。
人気が大ブレイクしていた松平康隆監督率いる男子バレーボールが金メダルに輝き、そのスカッとした余韻が残る中で迎えた札幌冬季オリンピックでした。

今回東京オリンピックで日本は過去最高のメダル数で金メダル28個、総数は58個でした。
冬季オリンピックでも日本選手は活躍するようになりました。
改めて豊かになった日本を感じます。
但しスポーツにおいてです。
産業は危惧します。
もしかしたら日本は国家としてピークアウトしたのかもしれない。

因みに1989年、幕張メッセで開かれた東京モーターショーでは日本車のブースが一番グレードが高かった。
HONDA-NSXが宙を舞い、三菱GTOが存在感を際立たせていた。
残念ながら今はその面影は見る影もなし。
日本は最早『衰退国家』というのはあながち的外れではないのかも。

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7/27 サーフィンの準決勝、決勝でした。【西ヶ原】

2021.8.9 / OWNER'S BLOG
7/27の片貝新提は台風のうねりが入り、久しぶりのビックウェイブでした。
サイズは肩から頭。
面OKのグッドコンディション。
なので久しぶりに6’3の長め&細目のサーフボードでサーフィン。




すぐ南の一宮の釣ヶ崎海岸(志田下P)ではオリンピックサーフィン競技の準決勝、決勝が行われていました。
海から上がるとローカルサーファーの方がネットのライブ配信を観ながら
「カノアが準決勝で優勝候補のガブリエル・メディナ に勝ったよ〜!」
と驚いてました。
もしかして優勝するかも?

結果はサーフィン男子で23歳の五十嵐カノア選手が銀メダル。
サーフィン女子では20歳の都筑有夢路選手は銅メダルでした。
期待はしていましたが、まさかメダルに届くとは!

DUCKSの高橋太郎さんが日本で始めてサーフボードを自作してから63年目。
感慨深い日になりました。

【ダックスの歴史】
http://www.ducks-surf.com/history.html

ダーティーなサーフィンのイメージが少しは刷新されるでしょう。
ただ数年はにわかサーファーが増えてポイントの混雑が問題になるかも知れませんが。
ビジターの皆様はローカルに絞められないようお気を付けください。

私がサーフィンを始めたのは80年の頃の第2次サーフィンブームです。
その時にはサーフィンをやらないにも関わらず、キャリアにサーフボードを乗せた陸サーファーという輩がファミレスに良く出没していた。
私の周りのもゴロゴロいた。
中には何故か自ら陸を公言して止まない不思議な輩もいた。
因みにサーフィンは1970年が第一次のブーム。
其の後80年、90年、そして今回の2020年にブレイクしてきました。

現在サーフィンの世界ランキングはカテゴリーが上からCT/CS/QSに分けられています。
『サーフィン世界/国内ランキング[2021]』
https://www.surfnews.jp/surfing-ranking/
五十嵐カノア選手はランキング6位でCT。
都筑有夢路選手はランキング18位でCSですが上位にランキングしているのでCT候補です。

80年の頃はまだまだ日本人プロサーファー海外では通用しませんでした。
当時の大会はランキング上位の選手が参加するファイナルと予選のトライアル(予選)に分かれていて、ランキング外の選手はトライアルから勝ち上がりファイナルに進む必要がありました。
海外の大会に参戦する日本人プロサーファーはまだまだ少なく、千葉の部原海岸で行われる丸井プロ選手権が日本人プロサーファーにとって海外のプロサーファーと対峙できる数少ない大会でした。
日本人プロサーファーは全員トライアルからの出場でした。
しかしほぼ全員が1回戦敗退でした。
若手の有望株だった久我孝雄プロや粕谷修二プロですら。
2回戦以降に進めたのは山崎市郎プロや岡野教彦プロら数人でした。
特に山崎市郎プロはトライアルの日本人の中では3回戦まで進み際立っていた。

当時、夷隅のサーフショップ『SEAQENCE』のオーナーでプロサーファー兼シェイパーの蛸操さんが世界に通用するサーファーの育成の為に若手に指導を行い、それにより著しい成長を見せ海外で通用し始めたのが久我孝男、粕谷修二、関野聡などの10代のプロサーファー達です。
家庭用VTRが日本で普及し始め、海外のプロサーファーの映像を目にする機会が増えたのもプロサーファーが注目されることに繋がりました。
それが日本人プロサーファーに意識改革を起こしました。
蛸さんは『SEAQENCE』の久我孝男プロを始めとした若手ライダーに毎日朝一から練習することを習慣漬けさせました。
『The  Surf』の粕谷修二プロも続いた。
それに触発された関野聡プロも湘南からはるばる出稽古に馳せ損じていた。
80年代、千葉で波が上がるポイントに朝一で行くと必ず既に彼らが波のフェイスにアグレッシブなラインを刻んでいた。
『SEAQENCE』『CHP』『The Surf』『TED』のライダー達が波のピークを争っていた。
なかでも釣ヶ崎海岸(志田下P)と夷隅川河口Pは道場と呼ばれ、プロを目指す子達がしのぎを削っていた。

特に久我孝男プロは無敵の日本国内から活躍の場を海外へ移し1990年、30フィートのワイメアで行われた「EDDIE」に日本人として初めて招待されて14位の成績を収め、パイプマスターズで10位という金字塔を打ち立てた。
其の後、純城プロや大野仙雅プロ、福地孝行プロなどの日本人プロサーファーが世界大会で活躍するようになった。

その頃は夷隅にあったサーフショップ『SEAQENCE』の店先に黒塗りのベンツ500SELが停まってました。
蛸操プロが買ったのか?と思いきや、20代の久我孝男プロのものでした。
揶揄する方もいましたが多くの方は
「若手サーファーのモチベーションに繋がるからいい事だ!」
と好意的でした。
私もワーゲンばかりがサーファーじゃないだろう!と感心したものです。

当時から平野彩子プロや大胡由美プロや毛利キャロライン留美プロら女子のプロサーファーも多くいましたが、女子は世界ではまだまだ通用しなかった。
理由は男子と比べ圧倒的に選手層が薄かったからでしょう。
日本人の女子プロとよく波待ちで一緒になり競わせて頂きましたが、アメリカ人のリン・ボイヤープロと御一緒した際は格の違いを感じさせられた。

今回、五十嵐カノア選手の採点をめぐりカノア選手のSNSに誹謗中傷がかなりあるようです。
採点は全然問題ありません。
嫌がらせ以外の何物でも無し。
CTで活躍する日本人プロサーファーがまだ少ないので攻撃されるのでしょう。
それと人種差別。
だた準決勝でカノア選手に負けたガブリエル・メディナとてブラジル人でヒスパニック系なのですが?
ヒスパニックもアジア人に対しては厳しいのでしょう。

もう一つ、五十嵐カノア選手について感心することがあります。
現在23歳で今回のテニス日本代表の大阪なおみ選手と同じ年です。
大阪なおみ選手は2018年プレミアマンダトリー、グランドスラム初優勝し一躍脚光を浴びます。
五十嵐カノア選手も2017年 Vans US Open of SurfingでWSLで初優勝します。
同じ頃からメディアに登場し始めます。
その頃2人とも日本語はたどたどしかった。
インタビューでは
「ミナサン、アリガトゴザイマシタ!Well,I could play ・・・・・・!」
とほとんで英語で応じていました。
五十嵐選手、英語はネイティブでポルトガル語、スペイン語、フランス語も堪能なのですが日本語はさっぱりでした。
しかしながら今回の五十嵐選手はネイティブな日本語で話しています。
サーフィンが東京五輪の正式種目になり、21歳になる18年に日本代表として戦うことを選択した時から日本語を猛勉強したそうです。
確かにWSLのインタビューにおいて日本語が年々上達していくのが感じられました。
それまでは家庭の中では英語でしたが日本語に変えたそうです。
サーフィン関係者からは
「五十嵐カノア選手は非常に頭が良い!」
ということを伝え聞きます。
努力家でもあるわけです。

今週、台風が近づいています。
火曜日、台風のうねりを堪能してきたいと思います。

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