7/27の片貝新提は台風のうねりが入り、久しぶりのビックウェイブでした。
サイズは肩から頭。
面OKのグッドコンディション。
なので久しぶりに6’3の長め&細目のサーフボードでサーフィン。
すぐ南の一宮の釣ヶ崎海岸(志田下P)ではオリンピックサーフィン競技の準決勝、決勝が行われていました。
海から上がるとローカルサーファーの方がネットのライブ配信を観ながら
「カノアが準決勝で優勝候補のガブリエル・メディナ に勝ったよ〜!」
と驚いてました。
もしかして優勝するかも?
結果はサーフィン男子で23歳の五十嵐カノア選手が銀メダル。
サーフィン女子では20歳の都筑有夢路選手は銅メダルでした。
期待はしていましたが、まさかメダルに届くとは!
DUCKSの高橋太郎さんが日本で始めてサーフボードを自作してから63年目。
感慨深い日になりました。
【ダックスの歴史】
ダーティーなサーフィンのイメージが少しは刷新されるでしょう。
ただ数年はにわかサーファーが増えてポイントの混雑が問題になるかも知れませんが。
ビジターの皆様はローカルに絞められないようお気を付けください。
私がサーフィンを始めたのは80年の頃の第2次サーフィンブームです。
その時にはサーフィンをやらないにも関わらず、キャリアにサーフボードを乗せた陸サーファーという輩がファミレスに良く出没していた。
私の周りのもゴロゴロいた。
中には何故か自ら陸を公言して止まない不思議な輩もいた。
因みにサーフィンは1970年が第一次のブーム。
其の後80年、90年、そして今回の2020年にブレイクしてきました。
現在サーフィンの世界ランキングはカテゴリーが上からCT/CS/QSに分けられています。
『サーフィン世界/国内ランキング[2021]』
五十嵐カノア選手はランキング6位でCT。
都筑有夢路選手はランキング18位でCSですが上位にランキングしているのでCT候補です。
80年の頃はまだまだ日本人プロサーファー海外では通用しませんでした。
当時の大会はランキング上位の選手が参加するファイナルと予選のトライアル(予選)に分かれていて、ランキング外の選手はトライアルから勝ち上がりファイナルに進む必要がありました。
海外の大会に参戦する日本人プロサーファーはまだまだ少なく、千葉の部原海岸で行われる丸井プロ選手権が日本人プロサーファーにとって海外のプロサーファーと対峙できる数少ない大会でした。
日本人プロサーファーは全員トライアルからの出場でした。
しかしほぼ全員が1回戦敗退でした。
若手の有望株だった久我孝雄プロや粕谷修二プロですら。
2回戦以降に進めたのは山崎市郎プロや岡野教彦プロら数人でした。
特に山崎市郎プロはトライアルの日本人の中では3回戦まで進み際立っていた。
当時、夷隅のサーフショップ『SEAQENCE』のオーナーでプロサーファー兼シェイパーの蛸操さんが世界に通用するサーファーの育成の為に若手に指導を行い、それにより著しい成長を見せ海外で通用し始めたのが久我孝男、粕谷修二、関野聡などの10代のプロサーファー達です。
家庭用VTRが日本で普及し始め、海外のプロサーファーの映像を目にする機会が増えたのもプロサーファーが注目されることに繋がりました。
それが日本人プロサーファーに意識改革を起こしました。
蛸さんは『SEAQENCE』の久我孝男プロを始めとした若手ライダーに毎日朝一から練習することを習慣漬けさせました。
『The Surf』の粕谷修二プロも続いた。
それに触発された関野聡プロも湘南からはるばる出稽古に馳せ損じていた。
80年代、千葉で波が上がるポイントに朝一で行くと必ず既に彼らが波のフェイスにアグレッシブなラインを刻んでいた。
『SEAQENCE』『CHP』『The Surf』『TED』のライダー達が波のピークを争っていた。
なかでも釣ヶ崎海岸(志田下P)と夷隅川河口Pは道場と呼ばれ、プロを目指す子達がしのぎを削っていた。
特に久我孝男プロは無敵の日本国内から活躍の場を海外へ移し1990年、30フィートのワイメアで行われた「EDDIE」に日本人として初めて招待されて14位の成績を収め、パイプマスターズで10位という金字塔を打ち立てた。
其の後、純城プロや大野仙雅プロ、福地孝行プロなどの日本人プロサーファーが世界大会で活躍するようになった。
その頃は夷隅にあったサーフショップ『SEAQENCE』の店先に黒塗りのベンツ500SELが停まってました。
蛸操プロが買ったのか?と思いきや、20代の久我孝男プロのものでした。
揶揄する方もいましたが多くの方は
「若手サーファーのモチベーションに繋がるからいい事だ!」
と好意的でした。
私もワーゲンばかりがサーファーじゃないだろう!と感心したものです。
当時から平野彩子プロや大胡由美プロや毛利キャロライン留美プロら女子のプロサーファーも多くいましたが、女子は世界ではまだまだ通用しなかった。
理由は男子と比べ圧倒的に選手層が薄かったからでしょう。
日本人の女子プロとよく波待ちで一緒になり競わせて頂きましたが、アメリカ人のリン・ボイヤープロと御一緒した際は格の違いを感じさせられた。
今回、五十嵐カノア選手の採点をめぐりカノア選手のSNSに誹謗中傷がかなりあるようです。
採点は全然問題ありません。
嫌がらせ以外の何物でも無し。
CTで活躍する日本人プロサーファーがまだ少ないので攻撃されるのでしょう。
それと人種差別。
だた準決勝でカノア選手に負けたガブリエル・メディナとてブラジル人でヒスパニック系なのですが?
ヒスパニックもアジア人に対しては厳しいのでしょう。
もう一つ、五十嵐カノア選手について感心することがあります。
現在23歳で今回のテニス日本代表の大阪なおみ選手と同じ年です。
大阪なおみ選手は2018年プレミアマンダトリー、グランドスラム初優勝し一躍脚光を浴びます。
五十嵐カノア選手も2017年 Vans US Open of SurfingでWSLで初優勝します。
同じ頃からメディアに登場し始めます。
その頃2人とも日本語はたどたどしかった。
インタビューでは
「ミナサン、アリガトゴザイマシタ!Well,I could play ・・・・・・!」
とほとんで英語で応じていました。
五十嵐選手、英語はネイティブでポルトガル語、スペイン語、フランス語も堪能なのですが日本語はさっぱりでした。
しかしながら今回の五十嵐選手はネイティブな日本語で話しています。
サーフィンが東京五輪の正式種目になり、21歳になる18年に日本代表として戦うことを選択した時から日本語を猛勉強したそうです。
確かにWSLのインタビューにおいて日本語が年々上達していくのが感じられました。
それまでは家庭の中では英語でしたが日本語に変えたそうです。
サーフィン関係者からは
「五十嵐カノア選手は非常に頭が良い!」
ということを伝え聞きます。
努力家でもあるわけです。
今週、台風が近づいています。
火曜日、台風のうねりを堪能してきたいと思います。
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