ほぼほぼプロサーファーとプロ予備軍が果敢にチャレンジしていました。
ユーチューバーでブレイクしている村田嵐プロは沖縄にサーフトリップ中なのでいませんでしたが。
流石にピンテールのセミガン(ビックウェイブ用の細身で長めの板)のサーフボードを持ち出しているサーファーがかなり見受けられました。
一応私も持っていますが・・・・、多分もう使わないと思います。
ここの釣ヶ崎海岸(通称志田下ポイント)は東京オリンピックのサーフィン会場です。
何も解らずの私が18歳の時に初めてサーフィンした場所です。
70年代後半。
まだサーフィンの第2次ブームのちょっと前でしたので何も知らないド素人が一人でも安全にサーフィンが出来ました。
其の後サーフィンは80年に大ブレイクし、雑誌『サーフィンライフ』どころか『Fine』や『JJ』などのファッション雑誌が頻繁に撮影にここを訪れるようになります。
ナバーナ、レオパードキャットやBeach BreezeなどのサーファーズDISCOのスタッフがポルシェのオープンカーで雑誌のモデルを引き連れて来ていました。
正にウェストコースト。
プロサーファーの久我孝男君や粕谷修二君達は連日一般雑誌に引っ張りダコでした。
今は何も知らない初心者が一人でサーフィンをするのは危険です。
サーフポイントには人が溢れ、トラブルの宝庫です。
板をぶつけられ怪我をしたりサーフボードのクラッシュなどは日常茶飯事です。
海でローカルにドツカレまくっているビジターサーファーをよく目にします。
うちのお客さんでも、懲りて二度とサーフィンはやらない!という方がいました。
私も娘を連れて行くときはかなり神経質になります。
サーフィンを始めようという方は上級者に連れてってもらうかスクールに入りましょう。
でその日、私はといいますと五十肩を言い訳にここでの入水は見送り。
まだ各種ローンが残っていますので、しばらく観戦させて頂きました。
怪我したら鬼嫁に何を言われるか解りません。
サーフィンは隣の太東岬で。
太東岬ではDJ’TUYOSHIさん夫妻を始めとした、いつも片貝海岸で見かける連中が集合していました。
ただ他のポイントがほぼクローズアウトに近かったので劇混み。
地元のお父さんが余りの人の多さに「今日は平日なのに大会でも有ったのか?」と聞いてきました。
DJ’TUYOSHIさんによるとボディーボーダーの女の子が一人、頭から血を流しながら駐車場にいたそうです。
私も家に着くなり、サーフィン傷害保険の確認をしたのは言うまでもありません。
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