『また五輪“特権扱い” サーフィン会場でドンチャン騒ぎ容認』
>チケットを保有する観客は酒を飲みながら音楽ライブを楽しめるライブを楽しめる「野外フェス」に参加できることが分かった。
但し
「観客を入れて開催されることが決まった東京オリンピックの会場内での酒類の販売について、大会組織委員会の橋本会長は「国民に少しでも不安があるならば断念しなければいけないと決断した」と述べ、会場内での酒類の販売を見送り飲酒も禁止することを明らかにしました。」2021年6月23日 12時06分 ゲンダイ
とあるのでアルコールは無いのでしょう。
正直言って風がある海岸ではある程度の距離があればいくら何でも感染はないでしょう。
今年は海水浴場も各地オープンするようだし。
ゴルフ場と共にサーファーを含め海岸での感染はゼロ。
ただこのゲンダイの書き方ではどう考えても国民からの理解は得られないどころか反感を買う以外の何物でも無。
ノンアルコールで人数制限をした上でなら大丈夫でしょう。
しかしながら昔からサーファーにはきな臭さがある輩が多いのでNGでも仕方ない?
サーフィンが日本に根付いたのはスノーボードよりも早かった。
にもかかわらず、スノーボードの方が早くにオリンピック種目になったのは、サーフィンと薬物の問題がIOCやスポンサーにとっての懸念事項だったのでしょう。
一部のサーファーですが、闇の部分をお話しします。
時効だから良いでしょう。
あくまでも一部のサーファーです。
私が大学時代、たまに訪れる旭市の飯岡ポイントでは皆海岸に車を停めてサーフィンを楽しんでいました。
その中にある電気店のローカルサーファーがいました。
彼のステーションワゴンの荷台には2つのプラスチック衣装ケース。
一方にはウェットスーツ、もう一方には乾燥大麻が入っています。
スーパーのレジ袋の束がハッチの金具にぶら下がっており、海から上がるとわし掴みで乾燥大麻を詰め込んでくれます。
1袋¥5000なり。
それを巻き煙草にして吸引するのです。
当時巻き煙草に用いたのはコンサイスの英和辞書の紙。
薄さが良かった。
英和辞書なのは古本屋で一番安いから。
しかしながらインド産のハッシシと比べるとかなり低質だった。
すぐ上の道路を警察官が自転車に乗って通り過ぎて行く。
それは何とも言えない奇妙な風景だった。
聞くところによるとこのローカルサーファーは仕事で鹿沼によく行くそうです。
鹿沼は芥子の産地です。
農家から分けてもらい自宅で乾燥させているという噂でした。
1980年代、千葉県勝浦の部原海岸で丸井プロサーフィンの大会が開催されていました。
勝浦にはホテルは少なく、海外からの選手や関係者の多くの常宿は民宿です。
民宿の関係者に多くのサーファーがいた。
大会が終了し一同が引き上げた後にはジャックダニエルの空ボトルが転がっていた。
そして大麻の燃えかすと使用済みのコンドームまでが散乱していたと彼らはぼやいていた。
某プロサーファーのショップが移転をした。
しかしながらあまりにも中途半端で不自然な移転に見えたのでサーフショップDUCKSの工場長直川武さんに、事情を知っているか聞いてみた。
「反社とのトラブルで壊されたんだよ。原因は薬だよ。
太東の○○が反社だな!
ローカルのショップの人間とはあまり深く関わらない方が良い!」
今となっては直川さんからの遺言になってしまいました。
私がお世話になっているいるウェットスーツ専門店でも某プロサーファーの評判は芳しくない。
以前、片貝漁港に突然
『無許可での漁港のイベント使用は禁止です』
の看板が立てられた。
最初は意味が解らなかった。
後に、漁港で行われたレゲエパーティーで薬物による中毒死者が出たいう話を漏れ伝え聞いた。
まだ若かった頃、サーファーの薬物問題についてDUCKSのオーナー高橋太郎さんに問うたことがあった。
「まあ、サーファーとマリファナの関係はミュージシャンと同じなんだよ。悪しき習慣かな?おれはやらないけど。」
その頃DUCKSでサーファーらしからぬ少年達を度々見かけた。
ある日ウェットスーツ修理の為、マリンボンドを買いに行くと『らしからぬ』少年が立っていた。
太郎さんは店内で探し物をしていた。
「ゴメン、マリンボンドは売り切れみたいだな!」
少年は舌打ちをしながら店を後にした。
「マリンボンド無いの?」
「あるよ!」
「えっ???」
「さっきのはボンド少年だよ!」=シンナー少年
太郎さんはその頃からシンナー少年がマリンボンドを代用していたことを知っていたのです。
当時のサーファーは暴走族上りが多かった。
「太郎さんのおかげで真っ当な大人になれました!」
という先輩方を随分とお見掛けしました。
それは太郎さんの自慢でもあった。
実は高橋太郎さんを書いた本があるのです。
写真はブログから拝借しました。
読書感想:『白いサーフボード — 日本で初めてサーフボードを作った男 高橋太郎の伝説』
DUCKSの歴史のリンクも有ります。
良かったら見てみてください。
太郎さんが足立区に在住していた頃はカットさせて頂いておりました。
この本のなかにも書いていますが、環境問題のことは昔から懸念していました。
私が持っているサーフィン雑誌の『NALU』のインタビューの中でも自給自足生活の充足感を語っています。
DUCKSを知ったのは大学近くのサーフショップSurgeon SURFBOARDSのオーナーに教えて頂きました。
「お前の家の近くに有名なサーフショップがあるよ!」
DUCKSは40年以上前から足立区の一ツ家にあります。
創業は北千住でした。
川井幹雄さんを始めとして蛸操さん善家誠さんその他大勢のそうそうたるレジェンドプロサーファー兼シェイパーの方々が工場に勉強に来ていたそうです。
しかしながら、サーフボードの材料のウレタンフォームやガラスクロスのチリ埃やレジンの匂いで近隣住民から苦情が出て、当時まだ民家が少なかった一ツ家に移転したそうです。
現在は店舗のみで工場はありません。
太郎さんの長男で店長の幸治郎君がサーフボードをシェイプしないのは昔から私には不思議に思えました。
最近になり幸治郎君からその理由を始めて教えて頂きました。
太郎さんは幸治郎君をシェイパーにしたくなかったそうです。
理由は人体に有害なウレタンフォーム、ガラスクロスにレジンを扱うから。
その危険さは本の中でも憂いています。
作る事よりも商売を学べ!ということで一宮のCHPで修行したそうです。
工場長の直川武さんが亡くなったのは肺癌です。
担当医からアスベストに関わる仕事をしてないか?と聞かれたので、ガラスクロスと結びついたそうです。
長年にわたりサーフィンで千葉を訪れるので多くのローカルの方々とも知り合いになり、フレンドリーにして頂いていおります。
ただ一部のサーファーに眉を顰めたくなるような言動があるのは事実です。
これはローカル、ビジターに限った事ではありません。
まあ何の業界にもある事なのですが。
話は逸れましたが、多くの国民に自粛要請を強いる中、いくら競技と一体だからだと言う理由でアルコール付のフェスを開催!と言うのは国民の理解を得られないどころか反感を買うでしょう。
恐らくアルコール無しで入場制限のフェスになると思います。
ただし自粛要請が解除されれば開催OKでしょう。
あくまでもソーシャルディスタンスを保ったうえで。
一日も早く自粛要請が解除される事を願います。
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