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天地真理【西巣鴨 ノンジアミンカラー】

2022.6.16 / OWNER'S BLOG
70年代の国民的アイドル天地真理。
AKB、〜坂46なんか比べ物にならない位のスーパーアイドルでした。

その天地真理について書いてみましょう。

1971年、19才でデビューすると瞬く間に大ブレイク。
(実は年齢詐称で実際は21才だった。)
当時の年収が3000万以上と言われている。
今の金額に換算すると1億円以上?

   

1973年にはブロマイド年間売り上げの女性歌手部門で1位を独走。
因みに、天地真理の前のNO1は南沙織で、天地真理を引きずり降ろしたのは山口百恵。
後楽園球場でのファンの集いには3万人以上のファンが集まります。
今のアイドル〜坂46が束になっても、この観客動員数は不可能でしょう。


1972年10月からTBSの19:00〜19:30のゴールデンタイムに
真理ちゃんとデイト(1972年10月5日〜1973年3月29日)
となりの真理ちゃん(1973年4月5日〜1973年9月27日)
とび出せ!真理ちゃん(1973年10月4日〜1974年3月28日)
アタック!真理ちゃん(1974年4月4日〜1974年9月26日)
はばたけ!真理ちゃん(1974年10月3日〜1975年3月27日)
『真理ちゃんシリーズ』は2年半続きます。
でも視聴率の割には結構つまらん番組でした。


なんとオリジナル自転車まで登場した。
当時、アイドルの人形や文具などのグッズは当たり前だったが、『ドレミまりちゃん』なる子供用自転車が販売されたアイドルは後にも先にも天地真理だけ?

但し、当時実物を見かけたことは1台も無い。
だいたい誰が買う?
幼稚園から小学生低学年位の女の子が天地真理の写真が付いた自転車、欲しがるか?
間違い無く欲しがるのは『リボンの騎士』の自転車でしょう。
親父の趣味で買う?
『ドレミまりちゃん』に乗る娘と町内会を走れます?

ところが70年代後半になると天地人気が急降下し、80年代には裸を売り物にするほどに落ちぶれてしまった。
以降はバラエティーに出演したりするものの、その姿と言動は往年のファンの期待を見事なまでに裏切った。


その天地真理について書いてみます。

1964年、国立音楽大学附属中学校に入学。
1967年、国立音楽大学附属高等学校ピアノ科に進学するも声楽科へ転科。
1969年よりヤマハ音楽振興会附属教室ヴォーカルコースで、プロ歌手となるためのレッスンに励む。
1970年、TBS系視聴者参加番組『ヤング720』に出演する。
同年12月、渡辺プロダクションへの所属が内定。


同年にデビューした小柳ルミ子、南沙織と共に天地真理は『新三人娘』と称された

 

小柳ルミ子
1971年4月25日、「わたしの城下町」でデビュー。
歌手デビューを念願の小柳は筑紫女学園中学校を卒業して宝塚音楽学校へ入学する。
歌手希望で「首席で卒業したら歌手にしてあげる」と渡辺プロダクションへの回答に応え、1970年(昭和45年)に首席で卒業する。
渡辺プロから歌手デビュー前に舞台経験を申し付けられ、宝塚歌劇団へ入団するも2か月後に退団。
小柳にとって、宝塚歌劇団は歌唱や演技を経験する腰掛けでしかなかった。
作曲家平尾昌晃がプロデュースする「わたしの城下町」で歌手デビューすると、1971年のオリコン年間シングル売上チャートで第1位を記録し、第13回日本レコード大賞最優秀新人賞を獲得した。
小柳のデビューはまさに事務所の命運を賭けた「小柳ルミ子プロジェクト」だった。


南沙織
1971年6月1日、「17才」でデビュー。
CBS・ソニーはデビューさせる新たな人材を探していた。
ある時、琉球放送のテレビ番組にヒデとロザンナがゲスト出演した際、そのマネージャーが持ち帰った写真に南が載っていた。
それがソニー関係者の目に留まり、急遽、東京に呼び寄せられることとなった。
1971年の春、本土復帰前の沖縄から母親と二人で上京。
CBS・ソニー社長との顔合わせの後、デビューに向けた肝いりプロジェクトが開始。
6月1日に「ソニーのシンシア」のキャッチフレーズで歌手デビュー。
後に「17才」を書いた作詞家の有馬三恵子は、「あんなにスムーズに新人歌手をデビューさせられた例は、他にない気がする!」と語っている。
社を挙げた大プロジェクトだった。


一方の天地真理だが、芸能界デビューから不運が漂う。

1967年、国立音楽大学附属高等学校ピアノ科に進学するが、ジョーン・バエズ等のフォークソングに感化され声楽科へ転科する。
高校在学中の1969年よりプロ歌手を目指し、ヤマハ音楽振興会附属教室ヴォーカルコースで学ぶ。
1971年7月、映画監督斎藤耕一の妻である女優・天路圭子と偶然出会い、芸能界接触の糸口をつかむ。
同月、TBS系視聴者参加番組『ヤング720』に出演。

同年12月、渡辺プロダクションへの所属が内定。
翌年4月、CBS・ソニーレコードとの正式契約を結ぶ。

1971年6月6日、TBS系人気番組『時間ですよ』のオーディションを受けるが不合格となる。
しかし選考時の天地を見た主演の森光子には感じるところがあつたのか、台本にない新登場人物として出演させることを同番組演出の久世光彦らに提案した。
急遽、堺正章演ずる「松の湯の健ちゃん」が憧れる「隣のまりちゃん」役で登場。
ところが以外にも「隣のまりちゃん」は一躍脚光を浴びる。

松の湯の隣のアパートの2階の窓に腰掛け、白いギターをつま弾きながらヴィッキー・レアンドロスの『恋は水色』を歌う天地の姿は、子供心にキュンと来た。
この『時間ですよ』のオーディション 、合格は西真澄であった。
フロック的不運なデビュー。


小柳と南、それぞれ渡辺プロダクション、CBSソニーの肝いりのデビュープロジェクトが既に春先から先決していた。
そのため天地は彼女らに押しやられ、デビューは小柳の5ヶ月後、南に遅れる事、4ヵ月後の10月1日となる。
その年のレコード大賞ノミネートを考えたらあり得ない時期になってしまう。
これまた不運。
しかしデビュー曲「水色の恋」が大ヒットとなる。
人気は小柳、南を凌ぐまでに。


天地真理 = 国立音楽大学付属高校
小柳ルミ子= 宝塚音楽学校(主席卒業)
南沙織  = 上智大学

3人ともアイドルなんですがインテリです。


実は天地は小柳よりも1才年上です。
『わたしの城下町』をしっとり大人っぽく歌う小柳よりも天地の方が年上というのは「アイドル歌手」路線で売り出すのにマズい!と事務所内で問題になった。
急遽芸能界では良くある19才への年齢詐称でのデビュー。
後にこの年齢詐称が「天地真理は元トルコ嬢だった!」の根も葉もないウワサの原因となる。

そのドタバタデビューのため、マネージングや身辺保護等、天地の周りは小柳、南とは比べ物にならない位の手薄な状態だった。
正にノーガード状態。


小柳は作曲家平尾昌晃がプロデュースする「わたしの城下町」で歌手デビューすると160万枚を売り上げる。
1971年のオリコン年間シングル売上チャートで第1位を記録し、第13回日本レコード大賞最優秀新人賞を獲得した。
大晦日、その小柳のレコード大賞最優秀新人賞の授賞式で涙に咽ながら歌う小柳を、
「本当ならこのステージには私が立っていたのに・・・・!」
と、テレビの前で天地は唇を噛み締めながら呟いていた。

この時、天地に対して日本レコード大賞選考委員会では「新人賞の対象は来年に」だった。


翌72年、「小さな恋」「ひとりじゃないの」「虹をわたって」と全曲オリコン第1位になった。
しかしながら、年末のレコード大賞選考委員会はまさかの手の平返しで、今更「新人賞」?
天地が手にしたのは「大衆賞」だった。
天地にとっては不名誉でしかなかった。
帝国劇場の受賞のステージで、作り笑顔を見せるのが精一杯だった。
またも不運。

その年、大賞の大本命だった小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」が土壇場で、ちあきなおみの「喝采」に大逆転されたことが天地にとってはせめてもの慰めだった。


小柳は、天地と同じく当時全盛を誇っていた渡辺プロダクションの所属で、一緒に活動することも多かった。
天地はあまり気にしていなかったが、小柳は何でもかんでも天地と比べらることに嫌悪感を感じていたらしい。
天地人気に対する嫉妬心から。
レコードの売り上げは小柳ルミ子のほうが上だが、人気は天地真理のほうが上になる。
現場での待遇も天地真理の方が高まり、小柳は天地を一方的に嫌っていた。


公称、19歳でデビューするとすぐブレイクし、月給は300万円。
渋谷区の松濤に5LDKのマンションを6000万円で買って、ひとりで住むのが寂しいという理由で数年後に売却。
天地はお金を母親に渡していたので、全く金銭感覚が身に付かなかった。
服や装飾品を買う時にその都度、母親からお金をもらっていた。
当時のマネージャーからも、
「服は自分への投資なのでどんどん買いなさい!」
とけしかけられた。

金銭感覚どころか社会性までもが身に付かなくなってしまった。
放蕩生活の始まりである。

まさに自由奔放なアイドル。
それがまたファンの心をくすぐったのかもしれない。


この少し前に『星影のワルツ』が大ヒットした千昌夫。
1970年、仙台市郊外の5万坪の山林を4,000万円で購入する。
その後、その山林に東北新幹線の着工が決定し、その土地を含めた周辺が市街化区域に編入されたことで、地価は10倍に上昇した。
岩手県陸前高田市から出てきた23才のただの田舎の青年が一夜にして億万長者になる。
歌う不動産王となり、バブル期には歌手を休業し不動産業『ケンアベ・インターナショナル』に専念した。
父親を小学4年の時に亡くした農家の次男坊は、子供の頃から、金があったら山を買え!と叩き込まれていた。
子供の頃から資産教育を受けていたお陰だった。


以下、当時の天地を取り巻いたゴシップです。

【トルコ嬢疑惑】
年齢詐称と芸能学校にいっていた期間が公表されてなかったため、その期間トルコ嬢をしていたという噂がたった。

【小指事件】
母親が営む小料理屋てまりに来た男性客が「これを真理ちゃんに渡してくれ」といって中身が小指の小箱を置いていった。

【誘拐未遂事件】
身代金目的の誘拐犯グループが長嶋茂雄選手と天地の誘拐未遂で逮捕された。

【芸名盗作疑惑】
テレビドラマ化もされた梶原一騎原作の漫画「太陽の恋人」の主人公の名前が天地真理だった。
天地真理の芸名の起源ではないかといわれたが、トラブルメーカの梶原一騎にも拘わらず、無言なのがいろいろな憶測を生んだ。

【父親】
生き別れの父親を勝手に取材と称して追い駆けまわし、父親のあることないことまで等、プライバシーを公開される。

【楽屋ではキャミソール】
天地は楽屋では下着姿でアルコール片手に煙草を燻らせいる!という芸能関係者からの噂も流された。

【アンチファンからの贈り物】
違うファンの人達からは開閉口に「カミソリ」を忍ばせたニセファンレターをよく送り付けられた。

【タブーな逢瀬】
当時多忙にもかかわらず、周りの目を盗んでは恋人と逢瀬を楽しむというアイドルとしてはあるまじき行為。

「白雪姫」のイメージを守るために事務所は手を尽くすが、手薄が故にマスコミ規制しか出来なかった。
これがかえってマスコミ、週刊誌等に色々と憶測で書かれてしまう結果に。
ファンによるストーカー行為もエスカレートする。

当時、電話帳に載る斉藤真理(天地とは全く無関係)という家にいたずら電話が頻繁にかかって来た。
天地の本名が齋藤眞理だったが故ではなかったか?と言われている。
その位、ストーカー行為は凄まじかった。


マネジメントを始めとして、ガードが行き届いた小柳や南とは違い、天地の周りは全てにおいて脆弱だった。
まだ小娘でしかない21才の天地にとって、周りからはスキだらけの環境だった。
これが次第に天地の精神と体を破壊してしまう。

ストーカー行為が身の回りで頻発し、小指だのカミソリだのが日常茶飯事に送り付けられる。
普通の精神状態ではいられなくなるのも無理は無い。


70年代後半になるとシングルレコードはTOP10はおろか、20にも入らなくなる。
事務所は手のひらを返したように冷たくなる。
仕事はキャバレーなど、土佐周り仕事しか持って来ななくなる。
うつを発症し、1977年1月23日、東京・港区三田の東京専売病院に入院する。
約1か月後の2月20日、退院うるものの引き続き休養生活に入り、芸能活動を約2年半にわたり休業した。
この芸能活動休業以後、天地は世間から忘れ去られた存在になってしまった。


鳴り物入りでデビューした小柳と南、十二分な温室環境での芸能活動だった。
それに比べ、天地はフロック的デビューが故に渡辺プロダクション、CBSソニーからの手が回らず、マネジメントは十分とは言えなかった。

南は人気絶頂期に稀代の写真家、篠山紀信と結婚する。
お互い、仕事に対する姿勢に惹かれた!と述べている。

小柳も持ち前のストイックさで女優業としても成功を収めている。
更には小柳プロジェクトともいうべき、無名だった13歳年下の元夫のダンサー大澄賢也を芸能界で著名な芸能人にまで育て上げた。


芸能界で大人の欲望に翻弄され続けた天地は時を経るにつれ、子役でデビューした多くの芸能人がそうである様に奇行が目立つ様になる。

1979年に復帰後の給料は月300万円だったが、仕事が増えず、他の事務所へと転々とするようになってからは、月に50万円に。
浪費癖は治らず、お金に困るようになる。

86年にはお金のためにロマンポルノに出演。
しかし、ギャラの200万円は毛皮のコートに使い果たしてしまう。
やがてその姿をほとんど目にすることはなくなった。


其の後、足立区で細々と音楽活動をしている姿をテレビが取り上げたことがあった。
その姿は、至極まともだった記憶がある。

2018年1月28日、古賀政男音楽博物館けやきホールにおいて「酒井政利のJポップの歩み〜アーティストクローズアップ編〜第14回 天地真理 Part2」が開催され、特別ゲストとして出演したのを最後に人前に現れることは無くなった。


後年、天地がテレビ番組に出演した際の目を覆いたくなるような昔のファンを裏切る容姿と言動は、大人達に翻弄された続けたことを思えば同情を禁じ得ない。

1973年のブロマイド売り上げ年間ベスト10である。

1位 天地真理
2位 森昌子
3位 麻丘めぐみ
4位 小柳ルミ子
5位 南沙織
6位 桜田淳子
7位 浅田美代子
8位 山本リンダ
9位 アグネス・チャン
10位 小林麻美

天地以外はまあまともな歳の取り方をしている。
如何に天地のアイドル時代の環境が悪かったが伺える。


2000年の頃にいたスタッフが天地真理の歌を歌っていた。
年齢からして父親が天地のファンであったことは疑いの余地はなし。
家で天地のレコードをかけていたのだろう。
子供だったスタッフが覚えてしまう位に。
子供の前で『ひとりじゃないの』を聞く親父を想像したら、流石に笑えた。


その天地だが、現在は川崎市の有料老人ホームで月20万円の老齢年金で生活しているようです。
ホームの費用は全額ファンクラブが負担しているとの事。


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