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最早若者の薬物汚染は我々の想像を超えているのでは?
実は1980年代のサーフィン界でも大麻を始めとした、薬物使用が問題になっていた。
1980年代〜1990年初め、首都圏にファッションビルを展開する企業「丸井」がスポンサーとなり、
サーフィンの世界最高峰のプロツアーとしての1戦が、勝浦市部原海岸をメイン会場として行われた。
当時の勝浦にはホテルの数は少なく、多くの民宿が選手やトレーナー、サーフ関連企業関係者達の前線基地になっていた。
大会が終わり、関係者達が引き上げると、
「アルコールの空き瓶と使用済みコンドームに交じって大麻吸引の残留物が残っていた!」
と民宿関係者が語っていた記憶がある。
実際に、九十九里浜の北、飯岡海岸辺りでは
真昼間から、大麻の売買が行われていた。
売人は建築関係者のサーファーだった。
仕事で栃木の鹿沼辺りに行った際、大麻草を入手して来るのである。
それを乾燥させ、プラスチック製の衣装ケースに詰めこみ、車のトランクルームに忍ばせて海岸で売りさばくのである。
現在、産業用大麻の全国最大の産地・栃木県では、薬物の大麻とは異なり、麻薬成分のほとんどない無毒性品種「とちぎしろ」が栽培されている。
この品種は1982年に県が独自開発した。
しかしながら我々が飯岡海岸で大麻の売人を見かけたのは、1982年から83年の頃である。
「とちぎしろ」はまだ一般的では無かったと思われる。
当時、鹿沼の友人からは鹿沼には多くの麻畑があり、
「作物の搾取は逮捕される!」
と書かれた看板が立ち並んでいる!という話を聞いていた。
つまり薬物大麻だったのです。
90年代になると、プロサーファーと覚醒剤のきな臭い噂を耳にするようになる。
大麻常習者からポン中になるらしい。
具体的にどこの誰が!という話も聞かされた。
危ないから近づくな!という忠告付きで。
サーフィンの歴史はスノーボードよりも古い。
しかしながらオリンピック競技に指定されるのは、スノーボードから遅れる事10年以上である。
国際オリンピック委員会(IOC)の本部がウインタースポーツのお膝元スイス・ローザンヌにあるという事情もあるが、
サーファーと大麻の関係が影響していたのではないか?と勘ぐってしまう。
若者が薬物に手を出すのは社会環境もあるだろうが、家庭の問題が大きいと思う。
知的レベルが低い家庭の子が、兎角嵌る様な気がする。
私見だが、高校時代から煙草に手を出す者は何となく貧しい家庭環境が垣間見えた。
金銭の問題ではない。
心と愛情の豊かさの問題である。
私自身高校時代はほぼ煙草は吸わなかった。
理由はラグビー部であったから。
喫煙はラグビーには「百害あって一利なし」のシンドロームを感じていた。
喫煙を始めたのはラグビー部を辞めてからである。
ただ、格差社会が進む今の日本では、若者を蝕む薬物問題の解決は難しいのかもしれない。
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