【1998年6月2日】「外れるのはカズ、三浦カズ」まさかのW杯メンバー落選 今なお続く論争
岡田武史監督は西野朗監督と並ぶ日本サッカーの名将であることは間違い無し。
ただ選手だけではなく関係者にプロ意識を植え付け、今日のワールドカップ常連国の日本サッカーの礎を築いたのは間違いなく三浦知良選手とラモス瑠偉選手。
その三浦知良選手を外したのはどうなのか?と思う。
本大会で出場の無い選手もいたのであるから、ならば選出しても良かったのでは?
それと岡田監督カズ外しの理由に中田英寿選手の「三浦選手では私のパスに反応できない!」の言葉の影響はかなりあったのでは。
『キラーパス』と呼ばれ強いスルーパスだった。
ただ小野伸二選手のソフトタッチなパスの方が上でしょう。
まあ私が言うのもなんですが。
三浦知良選手とラモス瑠偉 選手にとって、1994年アメリカワールドカップの予選敗退が悲劇でした。
最終戦イラクでロスタイムで同点を許し予選敗退。
最終戦での個々のプレーを含め、敗因は色々と言われています。
しかしながら細かい部分での敗因はそれぞれでしょうが、1番の要因はハンス・オフト監督とラモス瑠偉選手の確執でしょう。
最終戦をTVで見ていて、後半の「長谷川健太→福田正博」「中山雅史→武田修宏」の交代に対し、何故絶好調の北沢豪でないんだ?
と交代選手に違和感を覚えた記憶がある。
福田選手も武田選手も出来は良くなかったので尚更。
後に『ラモスはベンチに向かって「キタザワー」とリクエストしていた』Wikipedia
『オフトジャパンは良くも悪くもラモスのチームだったんだよ!』川淵三郎
ラモスのリクエストに対しハンス・オフトは「監督は俺だ!」と呟いていたらしい。
オフトジャパンの最初の頃、ラモス選手がが練習中に指笛を吹くオフト監督のことを「俺たちは犬じゃないよ!」と、反感むき出しにしていた映像が残っています。
ラモス選手に「ここはオフト監督の采配に従ってみましょう!」と心臓がバクバクしながらお願いした!と当時のキャプテン柱谷哲二選手も告白しています。
余談ですが!を2つ。
2010 FIFAワールドカップ日本代表、岡田ジャパンGKコーチの加藤好男さんは本郷高校サッカー部の先輩です。
現サッカー協会の田島幸三(浦和南高校)さんと共に全国高校サッカー選手権大会に出場しました。
兎に角キック力がすごかった。
西野朗監督は私が本郷高校サッカー部時代、早稲田大学のスター選手でした。
いつもガラガラな西が丘サッカー競技場なんですが、ある日の早稲田大学の試合はいつもより観客が多い!しかも女子が。
先輩に問うと、「西野だよ!」
「それ、誰すか?」
「お前、西野さん知らね〜の?」
確かに和製『ヨハン・クライフ』だった。
サッカー部時代、ラグビー部時代に周りには日本代表クラスの連中が沢山いた。
これは自慢できる。
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