先月、30年近く前に大正大学の学生だった頃からご来店頂いていた方が17〜8年振りに御来店頂きました。
今は実家がある神戸で就職し、今回出張で東京に来たのだそうです。
まだあるのか?と半信半疑の御来店でした。
さすがに「道順さえも記憶の彼方」状態だったそうです。
自動ドアがあき怪訝そうな顔で入ってきましたが、マスクをしていても目が合った瞬間に名前が出てきました。
「えっ、久し振り〜!」
しわが目立ちますが当時のまま変わらない。
私から「阪大や京大のほうが自宅から全然近いじゃん。なんではるばる東京まで来たの?」といじられていました。
その頃の大正大学は偏差値も誇れるものではなく?地方のお寺の跡継ぎの学生が多数集まっていました。(いまは激減)
うちにも何人かのお寺の跡継ぎの学生にご利用いただいてました。
その学生をみてハレンチ極まりなかった当時のスタッフ達が良く言っていた。
「御仏に仕える者の息子のくせに煩悩の固まりですね!」
??
この方も当時を回想しながら
「同級生の寺の息子はオートロックのマンションに車付やった!勉強なんてちーともしておらんかったわ!」
その子たちが現在の寺の住職なので最近の菩提寺の評判は頗る????
実は彼の実家は阪神淡路大震災で被災しています。
1995年(平成7年)です。
震災の翌日
「大変や〜、わての実家が潰れてもうた!」
と店に飛び込んで来ました。
確かその前後にお父様を亡くされ、結構苦労人なんです。
勤務地から離れていることもあり、実家は未だ更地のままだそうです。
でも明るさは相変わらずでした。
当時、ほかにも数人実家が被災されたというお客様がいらっしゃいました。
大正大学では被災者の学生は授業料減免になったということを彼から聞きました。
後に被災したお客様の女の子から聞いたのは
2階に寝ていたのですが、朝方ものすごい揺れで目を覚ましました。
幸い家は損壊しませんでした。
揺れが収まると階下から父親の「大丈夫か?」叫び声が。
ベットから降りて隣の部屋にいた兄と共に「大丈夫」と返事をしたものの、家のなかは物が散乱しおまけに停電なので階下になかなか降りられなかった。
停電は3日間続きました。
兎に角寒かった。
という話です。
阪神淡路大震災でスーパーダイエーが壊滅的な被害を被り赤字に転落しました。
創業者中内㓛さんのつまずきのきっかけです。
中内さんはPB商品やショッピングセンター、ゼネラルマーチャンダイズストアなどを日本で初めて導入した名経営者でした。
ダイエーに勤めるお客様が救援のため神戸と東京を行き来する大変な姿を見ていたこともあり、震災はとても他人事とは思えませんでした。
実はこの1年ちょっと前に長女が田園調布の隣駅の武蔵小杉の聖マリアンナ医科大学病院で生まれました。
検診の待ち時間に田園調布を散策をしたことがあります。
その際、中内さんの自宅を見学させて頂いてました。
まさに豪邸。
当時は途中にホテルニュージャパン社長の横井英樹豪邸もありました。
横井英樹邸は後に株式会社トキノ(現在の株式会社SONOKO)の創業者鈴木その子さんが買われましたが、自宅を建てる前に急逝されました。
良し悪しは別としこ御三方、じつに名物経営者でした。
皆様他界なされ、時の流れを感じさせられます。
この年3月に地下鉄サリン事件が起きています。
やはりお客様の中で被害にあわれた方が数人いました。
ある大手都市銀行に勤める女性のお客様は日比谷駅で事件に遭遇しました。
ホームの方から人々が泣き叫び逃げまどい倒れる光景はまさに地獄絵図だったと後に語っていました。
ご自身もサリンを吸引し、その後数年にわたり瞳孔が開く後遺症と鬱にも悩まされていたようでした。
もう一人女性のお客様(この方も大手都市銀行勤務)はその日はいつもの新宿支店ではなく、大手町の本店への出勤命令が出ていました。
寝坊をしてしまい、急いで駅に着くと電車が止まっていて階段は人で溢れかえっていました。
「こんな時に何やってんのよ〜!」
駅員に聞いても原因が解らないという。
運転再開の見通しも未定。
朝一で本店に届けなければならない書類があるのに!半ばパニック。
電話ボックスには長蛇の列。
当時は携帯電話もなかったので会社にも連絡ができない。
暫くしても何の進展も無いのでタクシーと思い、タクシー乗り場を目をやるとこれまたあり得ないくらいの人。
「よし、この際だれかアッシー君だ!」思い自宅へ。
玄関の呼び鈴を押すや否や母親が悲鳴に近い声で「あんた無事だったん?すぐに会社に電話して!」といきなり怒鳴られた。
実はサリン事件が起きたのは午前8時、通勤ラッシュの時間です。
暫くして、銀行に地下鉄で何らかの事故が起き、多数のけが人が出た!という情報が飛び込んで来た。
大手町本店では数名の行員が出勤してきていない。
銀行としては彼らが事故に巻き込まれたことを懸念した。
その中に彼女がいるわけです。
会社から自宅に電話がかかってきて
「お嬢様が出勤してきていないが家には戻っていないか?どうも地下鉄で事故が起きたらしいのだが何か連絡はなかったか?」
との安否の確認。
当然家じゅうは大騒ぎ。
すぐさま会社に電話すると電話口で「何処にいた?怪我はないか」等の質問が矢継ぎ早に飛んできた。
更には「今日は出社しなくて良いから自宅で待機してくれ!」との通達。
本人は何が何だか全くわからず。
其の後ニュースで事の重大さと九死に一生を得た自分を理解することとなりました。
この時、関係路線にある多くの会社が同じようなパニックに陥っていました。
この頃はまだスマホはおろかデジカメもネットもありません。
我々がテレビで目にする上九一色村のオウム拠点からの映像は現地のスタッフにより録画されたVHSのビデオテープを毎日バイク急便が東京のテレビ局に運んで編集しオンエアーします。
うちのお客様にそのバイク急便のライダーがいらっしゃいました。
1日3〜4回東京と上九一色村を往復。
東京と上九一色村の距離は150Km、往復で約300Km。
1日平均1000Km以上走ることになります。
東京〜大阪の往復に匹敵。
サリン事件は3月20日。
2日後には教団施設の家宅捜査を家宅捜索を開始。
逮捕は5月16日。
てことは今思うとうちのお客さは2カ月弱で55000Km以上走っていた。
普通の体ではもたない。
そうとは知らずただの野次馬根性でお客さからの話を聞いていた浅はかな我々。
今思えば東日本大震災もあったデフレにも悩まされた平成という時代は何だったのでしょう。
ただ懐かしいお客様の御来店は美容師冥利に尽きます。
我々は『髪の悩み』『頭皮トラブル』『お肌の悩み』のお悩み解消に力を入れております。
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